りゅうのす、これが

只々日々

久石譲のことでも書こうかな。

知らない人はあんまりいないだろう。ナウシカ以降の宮崎アニメの音楽を担当してきた人として有名で、他にも北野武や大林宣彦監督作品をはじめとした数々の日本映画など、とにかくべらぼうな量の作品の作曲を担当してきた音楽家である。

映画好きな人からは大体不評な人で、僕自身はといえば、かつて大好きで、今は全然興味がなくなってしまった。ジブリ作品では、総じて大変素晴らしい仕事をされた方だと思う。「ラピュタ」の劇伴は、この人のキャリア全体の中でも出色の出来じゃないだろうか。「魔女の宅急便」以降は、作品を編集する役割に比重が置かれたか、はっとするような映像と音楽の出会いが減ってしまった。「君たちはどう生きるか」を観た記憶だと、流石の玄人仕事という感じで、無茶苦茶な展開の作品とうまく関係していた印象だ。作品にきっちり寄り添うという意味では「かぐや姫の物語」がとても完成度が高く、というかこれは多分、高畑勲のディレクションが徹底してたからだろうけど。

だけど「かぐや姫」の、ラストに月の使者が降りてくるシーン、あれみんなどう思ってるのかな。あのシーン見ると僕はおかしくてしょうがなくなる。それまでの展開や文脈をぶったぎって、「ラジカセ担いで陽気な音楽流している珍奇な格好の集団が変な乗り物に乗って真顔でやってくる」って言ったらいい?別れのセンチメンタルとか台無しで、まあ、そういう演出なんだろうけど、笑っちゃうんだよなあ。

10年前にジブリ仕事の集大成となる武道館コンサートがあった。大変良かったと思う一方で、久石譲のこう、リスペクトできない部分も垣間見えるのだが、娘を出したり、映画で採用されなかったバージョンを披露したり、誰も求めてない小細工っぽい編曲したり、ナルシストなんだと思う。

アルバムでは「ヴィオリストを撃て」、曲単体ではPretenderの「View of Silence」、劇伴では「ソナチネ」が良いと思う。後はもしかしたら「脅威の小宇宙人体Ⅰ」のサントラの、油が乗ってたあの時期のシンセオーケストラは、良かったのかもしれないなと、今急に思った。

とにかく、デビュー作からずーっと同じことをやってる人だと思っている。同じことを繰り返している、というのは本人もおそらく自覚があるだろう、居直ってなきゃできないだろうと思う程で、だって1991年の映画「ふたり」のテーマとか、その後の作品で何十回使われただろう。

でも別にいいけど。そんなもんじゃないかな。音楽家でも小説家でも戯曲家でも漫才師でも漫画家でも、僕は基本、ひとつのことしかできないのだと思っている。ひとつのこと、ひとつの「持ち味」って言ったほうがいいのかな。クリエーターは全員、あだち充だと思うのだ。小津安二郎とか言ったほうが知的ですか?結局作家は、ひとつの持ち味のバリエーションしか作れないのだし、それで良いのだと思っている。身体性ってことなのかな。というか、そのひとつのことを見つけられた人が、世に数少ない、クリエーターとして認められる人、ということなんだろうけど。