雨男晴女

只々日々

毎日8時間近く寝ている。

去年入院していた期間中に、こさえた生活サイクルを維持しようとして、半年以上続いている。禁煙もである。何十年も毎日、偽ミルク入り加糖コーヒーを飲んでいたんだがそれも辞め、ブラックしか飲んでいない。

こんなもん健康まったなしじゃねーのかと思うのだが、別にそうでもない。ハツラツでもなければ痩せもしない。いやでももちろん、続けた方が良い。加齢に歩調を合わせねばね。

などと、曲作りも進まないし、雑記している。今ふと、最近思っていることも付け加えたくなったので、そうする。

5年くらい前だったか、偶然テレビで見た、アメリカでの、「地球平面説」を信じる人たちの大きな集会の様子、これに結構衝撃を受けて、以降そのことについて考え続けている。

アポロ11号の月面着陸が捏造だとか、9.11は自作自演だとか、その手の陰謀論など易々と飛び越える非論理性が「地球平面説」にはあるが、一方で「いかにも尤もらしい理屈づけをする人」の先導は巧みにも見え、ガンダム世界のSF考証をずっと聞き続けているうちにうっとりしてきて、うっかり「本当にガンダム大地に立つかも」と思っちゃうみたいな、そんなうっとりうっかりが「地球平面説」に集う人たちにも生じるのかもしれない。

ばかな。そんなもんは普通、フィクションのフレームを超えない。のだけど思い出すのだ。中年には「地球平面説」をばかにできない記憶もあって、1999年のノストラダムスの大予言を、みんなうっすら信じてた、あの空気だ。あの頃は今よりも、ベタなオカルトが世の中の優位なポジションに居たような気がするな。

夜中背筋が寒くなる。おばけがいるかもってなる。基本僕らは、オカルトに抗えないのだと思っている。身体的に、そうなのだと思う。陰謀、予言、終末論、血液型占い、魅惑的である。吸い込まれそうだ。真実性って、真実以外のものしか纏わないのではないかと思うくらいだ。

そう、「地球平面説」を信じる人たちに思ったのは、「愚かな人たちだな」ではなかった。むしろ「あ、そうだった。僕らはそれを信じることが出来てしまうんだ」ってことの、再確認に近い思いだ。

かわいげのあるオカルトなら別にね、いいんだけど、今はネット上で、オカルトと方便と口車が手を取り合っていつでも、カモを狙っている。詐欺師の眼差しがあまねく世界に行き届く資本主義の成れの果てみたいな世界で、無邪気にオカルト性善説を語るのは無理だろう。

対オカルト、対陰謀論、その為に正しいことを知ろうと思う。でも一個人の知見で無編集に飛んでくる情報を精査することが困難な時もあるだろう。AIにリテラシーを任せれば?でもちょっと思うのは、それこそ、新しいオカルトかもしれないなっていう。なんでだろう、AIを扱う人の振る舞いが無責任に見えて、オカルトを疑わない人と重なるからかな。

大好きな物語や歌が、公演やライブがそうであるように、正しく、優しく、生きる為の、美しい雨乞いの祈りなら、そういうオカルトなら、適量、魂に住まわせて良いだろう。勉学が大事なのは勿論のことだ。間違わない為の「重し」としての、良いオカルトというものが、表現の世界に多少、あるかもしれないと思っている。