第10回公演「わたしは最近太った」のアイデアより2編。
「筧と卵」
筧に卵をぶつける想像で、筧を我慢してきたから、腹立つと透明な卵を、想像の、投げるとマジ筧に当って、汚れる、卵で。そうしてきたから毎日。何百パックて卵、パックで、何百だからね数、投げてきたし。たまにはずれて、筧をかすめて奥のマモさんに当たったりしてごめんてなるけど、すごい、投げられてたあいつ、わたしに。机の上のいつも決まったポジションに、修正テープとハサミがあるけど、同じに、いつでも投げやすいように、透明な卵は、マウスとボトルガムの間に、常にあったから。
筧が癌だって聞いた時、たしか報告書かなんか、打ってた時で、出張の、マジ急いで神妙を集めてきて人生の、神妙を、集めて、課長に、まさかそんなって、あと雨、ふってたっけあの時。仕舞った、卵は、でも、流石に。あれ以来、投げてなかった。
悪いことしたからって尻を叩かれたことがない。悪いことしたからって、尻を叩かれたことがない。おっかさんが、小脇に鼻水太郎、みたいなの抱えて、つづみ的に尻を、叩く、昭和、的な、されたことないのに、筧が死んだ後、筧が死ぬ前に、誰かに尻を叩かれてたような、気がする時があったって思って、叩かれてるような、最近でも、気がする時だってあって、だから筧ももしかしたら、わたしの尻を透明な手で、叩いていたのかも知れない。わたしが筧に透明な卵を、投げていた時、筧はわたしの尻を、透明な手で、そうだったのかも、それで透明な手はまだ、残ってて、知らないけど、そんなこと、でも思うの。わたしはいつもなにか我慢が、ある時には、想像の透明なもので、なんとかなった。相手の目を見ることが苦手なら、そいつの顔にくっつけた、透明なほくろを見るとか、友達より狭いわたしの勉強部屋には、私の体より大きくて、立派な、透明なぬいぐるみが置いてあった、姉と別れた男はみんな透明にして、値踏みしながら、その上に乗るんだ、それから、父と母を透明なミキサーにかけて飲んで、それがちゃんとわたしの味になるのかどうかを、何度でも、何度でも、確かめてた。わたしは、最近、太った。わたしは筧に透明な卵を投げなくなってから、想像の透明なものを、全然してないから、少しずつ、白く、太って、そのうち、もう誰だか分からなくなるよ。だけど、今日も、帰りは、飲んで、帰るよね。
「ひまわりと竜」
2004年に気象衛星ひまわり5号と、ワイバーンが衝突したその日、その時の、空をわたしは丁度、見ていた。赤い尾を引いて燃えてゆっくり、無音で落ちてく幾つかの筋。後で知ったんだけど、それがバラバラになって落ちていく、ひまわりとワイバーンだった。短大生だった、その時。お腹いっぱいだった、その時。親子丼だった。親子丼が入ってた空の弁当箱ふたつを、出番を待つシンバル奏者のように、持って固まって、青い空を下る赤い筋を見てたんだ。世界に132頭いるワイバーンが、131頭になった瞬間だ。中国産まれの「ハオリ」と呼ばれるそのワイバーンがなぜ、竜空流を外れて成層圏の上へ向かったのか、なぜ「ハオリ」が狂ったのか、10年以上経った今も不明で、そもそも学者達はワイバーンに意識なるものが存在するのか懐疑的で、ワイバーンとひまわりの衝突事故はそれなりに物議をかもしてて、そういうの、当時テレビとかでよく見た。ところでその時、親子丼を食べていたのはわたしだけじゃない。もう1人いて、男がいて、それは彼氏で、わたしは朝早起きしてラブ親子丼を、勢い余ってラブエビフライまで乗っかったラブ親子丼をふたつ持ってきていてだがしかしだ、昼下がり木漏れ日の中庭だ、親子丼の一口目が口に入るよりはやく男が、昨日のわたしの服がダサかった的なことをかましてきてそこから大喧嘩になり、わたしははじめて人を本気で蹴ったし、付き合って別れるまで3日という最短記録を叩きだしたし、怒りに任せて親子丼二人前を五分で完食するという記録も叩きだしたし、そうして空の弁当箱ふたつを手に持ってたっていうかワイバーンだ。ワイバーンの話をしようと思う。ワイバーンは今は135頭に増えて、というのもこの10年は、ワイバーンに随分よく花が咲いて、種が多かったからだし、種が良く浜まで流れ着いた。生きている内に、浜から生える4匹ものワイバーンの幼生を見ることが出来るのは幸運なことだ。その上その全てが亜成体にまでちゃんと育って、風船みたいに飛んで行くとこまで、だって風船期のワイバーンを仔細に観察出来るなんて、第2次大戦中ノルウェーのスタバンゲルの内湾から飛び立った「ラタトスク」の時以来のことなんだどうだほら、わたしはワイバーンのことを随分調べている。あれから詳しくなったんだ。怖いくらいだ、自分で。空に存在を知っていても、種が流れ着くのことのなかったこの国では、宣教師が地球儀と一緒にワイバーンの生態を伝えても尚、「麒麟」という架空の生き物と混同したままだった。「トドリ」「麒麟」「吾ん羽」「ワイバーン」と、その呼称の変遷は、近代化に至る日本の歴史と重なってもいる。かつて文豪ディケンズは、テムズ川に漂着したワイバーンの死骸を指して、「ひとつのワイバーンは、永遠という時に刻まれた、一目盛りである」的なことを言ったらしい。全然よく分かんないけど、わたしもそう思う。成体は上、高度2万メートルの竜空流を、その種子は下、世界20の海流を、ワイバーンの一生はこの星全体を循環している。そうだ告白しよう。わたしはあの時、胃袋から怒涛の如く逆流してきた親子丼を堪えながら、口からはみ出したエビフライもそのままに、泣きながら空を見ていたんだ。付き合って3日でも、片思いは1年半だった。のぼるゲロを追い越して、頭の中でデッドヒートを繰り広げる、言葉がふたつ、馬鹿、死ね、馬鹿、死ね、馬鹿、死ね馬鹿死ね馬鹿死ね馬鹿死ね馬鹿死ね、わたしはこれより、つるっつるに女を磨いて、来年には、たまげたゴージャスぶりの、広告の、使用前使用後の使用後だけを、悟空が元気を集めるみたいに、集めて、そうして、背中にわたしの足跡のついたあの男を、見返してやるんだ。直後に空に砕けたひまわりとワイバーンは、永遠の循環を断ち切った、破滅と、崩壊は、そんなわたしの怒りと決断に、降り注いで、いたんだ。だけどその時のわたしは、赤い筋に流れ星の仕事を押し付けて、誓っていた。
もてたい。あれから10年経って、だけど、わたしは、最近、太った