国体道路て呼ばれてる、利根川沿いに5キロ以上に渡って続く道。僕は毎日この道を使って通勤している。延々と桜が立ち並んでいて、春には実に贅沢な通勤路へと変貌する道だ。大きな川沿いを走る道だから、景色の抜けがよく、南下する帰路には右に、川と木々と山と雲、その夕焼けが美しい。実はその、車内からの景色を動画に撮り溜めていて、「彼岸たちのうた」のMVの素材に使おうと考えていたりする。
場所によってはけっこう水辺に近い場所を走るこの国体道路、今の時期の朝の通勤中に時折僕の目にしている、或る「はっとする光景」について書きたい。
川辺に真っ白な鳥、足の長い大きな白い鳥が、いることがある。
シラサギってやつだと思う。正確な名前はわからない。普段は目にしないサイズの大きな鳥で、とにかく真っ白で、よく目立つ。当たり前のようにそこにスラッといて、だけどこっちとしてはいつも当たり前とは思えなくて、運転中毎度「うわ、いる」となってしまう。
魚を狙って川面を見つめているのだろう。よく見るのが、じっと立つその鳥が、川の両岸に、何十メートルかおきに行儀よく、白く点々と並んでいる、それがけっこう遠くまで続いてるって様子で、それが僕にはなんだか「そういう釣り人たち」じみて見えて、なんとも奇妙な、面白い光景として映るのだ。
かと思えば、20羽くらいがひとつの場所にまとまっている時もあって、それはそれで奇妙に見える。「真っ白小型村人たちの仲良し寄り合い」みたいな感じ、なぜだろう、大きな白い鳥たちのいる様子が僕の目には、少しファンタジーな光景として、浮かび上がってしまうのだ。
大きく、真っ白く、静かに佇んでいる鳥。存在感が強くて、輪郭があらわすぎて、風景の中で、キャラクターが立ちすぎてるんだ。2足で佇む様が擬人的に見えたりもして、なんだか過剰な存在なのである。個体毎に雄弁に見えるというか、ああそうだつまり、鳥たち自身が少し言葉をまとっているような、気がするってことなのかな。
思いがけず大きな白い鳥と出会うということ、その「はっとする光景」の正体のようなものを、捕まえられそうな気がする。鳥のまとう言葉が、僕を誘うのだ。でも捉えられそうで、捉えられない。そもそも僕は通勤途中にただそこを通過するだけの存在だ。違和感だけを受け取って僕の現実はゆらゆらと揺らぎ、残り香をファンタジーに結んでいる。白い鳥が僕には読めない手紙だとして、それでも僕に面白い時、世界は悪くないような、あんまり寂しくないような、気配は知らせてくれている。

