9を拾った。会社の帰り、道に落ちていた。
なんだかスーツが重く、溜息をつくと、足元になにかある。拾ったら、9だった。手のひらサイズの、軽い、硬い紙のような素材、白く、気のせいか少し光ってみえる、9。特別欲しいと思ったわけじゃないが、珍しいものだし、酒のつまみの入ってる、スーパーの袋の中に放り込んだ。
アパートに帰って、玄関の下駄箱の上に置こうとしてはじめて、あ、これ6なのかもしれない、と気付いた。だけどなぜか確信があって、9の向きに立てて俺は、それを置いた。
次の日の朝、数字は8に変わっていた。ということはやはり9だったのだろう。で明日には7に変わるんじゃないかこれ。多分そうなんだろうな。電車に自分を詰め込みながら、夜中じゅう数字を見続けていたら、8が7に変わる瞬間が見れるのかも見てみたいかも、と一瞬考え、明日このもみくちゃ電車に寝不足で乗る自分を想像し、必要ないことだと思いなおした。
仕事を終えた夜に、ネクタイをほどきながらアパートのドアを開けると、下駄箱の上の数字は、まだ8だ。スーツをハンガーにかけるとそれが妙に、大人に擬態する為の衣裳が己の巣に無惨に垂れているという感じを放っていて、見ないように見ないように走るようにして酒ばかり入った、冷蔵庫を開ける。溜息を胃袋に押し戻したら、特に興味のない動画を再生して、そう、いつも通りにしよう。誰かの充実のおこぼれを頂戴するだけの気は紛れるが絶対に幸せには至らないって時間さえ、ないよりはまし、敵に隙を見せてはだめなんだ。
敵?多分、孤独のことだろうな。ちゃんと自覚したら終わりだって気がしてる。空き缶を転がして、割り箸を蹴飛ばして、スルメを引きちぎりながら、明日の朝、玄関あるだろう7のことを、次の日、次の日と、0に向けて下っていく数字のことを、考えた。
崖っぷちで背中を押す潮風と、夜の森に轟く狼の遠吠えが、俺の周りをぐるぐるぐ追いかけっこしながら、カウントダウンを続けていて、俺はその真ん中で怯えながら笑っている、そんな光景が、そんな絶望が閃く。「ぎゅ」みたいな変な声がでた自分に驚きながら、俺に限界を伝える為に数字は表れたのかもしれないと、転がるように玄関へ向かい、数字を見れば、いつの間にか、もう7だった。
がばっとそれを手に取って、握りつぶしてしまおうとした、その刹那、7がどくっと、鼓動したことに気付き、たちまち俺は、数字の中に内蔵が詰まっていることを理解した。これは、この数字は、生き物なんだ。無実の数字を殺してよいものか迷って、呼吸を無理やり整えたあと俺はそれを、下駄箱の上、元通りの場所に置いた。そうだもう夜中の3時だ、早く、早く寝ないといけない。
翌朝の満員電車の中で、ふんだんに通勤という暴力を浴びながら、もたれたドアの窓の外を見る。この7の日がいかに俺を呪おうとも、空は綺麗だ。街に潤滑油を吹きかけるように、雀たちが横切っていく。鼻の奥が煤けた後、目頭が熱くなって、命乞いをしたいような気分に、少しなった気がするが、電車から吐き出された瞬間に、大体忘れた。今はただ、20分後の上司への、昨日のミスの言い訳について、考えている。
昼飯に、食べ飽きたコッペパンをまんじりと見つめながら、明日玄関の数字が6になった時、それをひっくり返して9にする、というのはどうだろう、と思いついた。巻き戻すんだ。そうして、絶望に至る時間の序盤だけを、延々と繰り返すんだ。出会ってしまった数字をペットに、優しい拷問の中で、のんびりとした麻痺に浸って、いつか世界から俺へのネグレクトが空気に変わるほどに、狂えたら、幸せっぽいような気がしないでもなく、それって、どう思う?コッペパン。

