櫻坂46のこと書こうかな。この日記で何度か触れている。
好きで応援してる。なぜ好きなのか、理由の大半は「櫻坂のMVが好きだから」だ。新たな表題曲のMVが発表される度、なんだかすごく緊張するんだけど、というのも僕は「僕が好きじゃないMV」がもし2回とか続いたら多分、ファン辞めるだろうな、と予感しているからだ。
最早、歴も長く思い入れも深く、魅力的なメンバーが沢山いるのを知ってるので、そうなるのは悲しい。けど作品に魅力を感じられなければ、どうにもなんない。
秋元康のことは特に尊敬できないけど、氏のテキストから作家各自で好きに文脈を掘り起こして、クリエイションを重ね合わせていく、その成功例としての欅坂46の作品群があったわけだし、櫻坂46においても、TAKAHIROさんと映像作家陣を中心にチャレンジングな創作環境が維持されているのではないかと、期待を続けている。
はたして13枚目シングルのMVも、良かった。「僕は僕を好きになれない」でもそうだったのだが、内省色濃い作品で村井優さんをセンターに起用するのはなんでだろう。きっと、作中の主体と実人物を同一に、「僕と平手」を同じものと見做した欅坂に対して、異なるアプローチを作ろうとしているからなのだろう。
正直に言えば、村井さんは自己否定の人を演じるにはやや軽く、そぐわないと感じてしまった。だが一方で、そのことが中心の風通しを良くし、全体をエンジンに変える、そんな効果があるようにも思うのだ。
櫻坂初期から何度もセンターを務めている鉄人森田ひかるさん、継いだ山下瞳月さんに対しても時々感じることなのだが、良い意味での、ある種の軽さか、背負わなさか、空虚さか、抜け感のようなものが、演じる者を、観る者を、その互いの関係を、少し自由にしてくれ、それが楽曲の表現を深めているように感じることがある、という話である。
無論みんなのパフォーマンスは完璧だと思っている。さてでも、一つ言いたい。「苦しい」を「頭を抱えて振り乱しながらよろよろ動く」的な振り付けで表現するのはどうなんだろう、やめていいんじゃないか?多分今回のMV監督も、その振り付けを支持していないと想像する。
欅坂の到達点、「黒い羊」は傑作だったと思うのだが、振り付けは一番嫌いかもしれない。過去作でも演劇的な振り付けは概ね失敗しているのではと思っている。記号的、直線的すぎる。
「承認欲求」の振り付けが一番優れてはいないだろうか。劇寄りだった「Start over!」が成立したのは、藤吉夏鈴さんの凄さだろうな。「TAKAHIROのまっすぐ振り付け」は強みのようでいて、勝負所で案外上手く機能してない時がある気がする、「IWTC」とか。基本、抽象化し、比喩に落とし込んだものにこそ説得力が宿るってのが、あるように思うんだけどな。