全然日記

只々日々

全然日記を更新していない。

などとは、全然日記を更新していないのだから、わざわざ書かなくてもわかることだろう。それにしても、全然日記を更新していない。日記を更新してみようと思う。

なにせ全然日記を更新していないから、前回の日記は「せんがわ演コン」のお知らせだったわけだが、これは延期となっている。非常事態宣言時に感じたことは様々にあり、これらを出力する術としての、「はこいるむすめ」の再演を企画し、映像作品の連作の発表、てことを今、やっている。

「はこいるむすめ」はコロナ騒ぎの当初から、社会状況に呼応する設定を持ってるやもと感じていた。「せんがわ」のキャストが継続参加の意思を示してくれたので、彼女達と共に新作を作ることにしたのだ。

映像作りはもうわりと続けていて、感覚としては音楽作りと随分重複する部分があるなと思っている。とても面白い。僕は「演劇ではない」とされていることはやらない、という人間ではない。僕のすることを目障りだと思う演劇人の少ないことを願いはしている。

エピソードを4つ、動画を5本作る予定で、エピソード0と1を制作済みだ。0のように、ひとつのモノローグを共有する形式の作品を、今まで沢山作ってきた。4人のエピソードのバリエーションもその汎用になるかなと思ったが、書いてみると、全然違った。寧ろ次第に、お互いを否定しあうような態度が人物に生じ、書きながら、そのことに救われた。

ただ薄ら分かり合っている人たちの、浅い孤独を描くことしか出来ないなら、作る必要もないだろう。もっとも、ただいがみ合い否定しあう人たちのことにも興味がない。思えば、分かり合えない分かり辛さについて、ずっと描いてきたのだと思う。今度のものもそうだろう。

僕らは正義を信じ断罪する時、すごく気持ちいい。その快楽は、人を差別する時の快楽と同じくらいだろう。僕は曖昧で微妙で何が正解なのか分からないまま何も選択せず生きて死んでいく人たちに興味がある。活動家からは、生きる価値がないか洗脳するしかないと判断されるような人たちだろうな。まあ僕自身のことなんだが。僕は僕の表現をただただ続けることしかしない。