銅羅、春一番

只々日々

なんとか頑張って、作曲作業を再開しつつある。

新たに、男性パフォーマーソロを想定した曲や、リズム主体で作り易い曲を考え、歌詞を書き下ろした。個人制作が捗り易くなるよう自らを誘導し、結果、ゆっくりだが前進した。

怪我をして入院して以降、全ての活動が「終活」になっていくだろう、と思って行動している。やり残したこと、おもいを残したことがあって、それを形にすることが、僕には必要なんだ。

形にしようとしている作品たちは、既に大変に具体的で、設計図もほぼ出来上がっている。活動全体のゴールさえ明確だ。僕は死ぬまでに、「自分の納得のいくクオリティの、3分から5分程度の歌を、30曲作る」ことが叶えば、それで満足する。その半分の歌詞はもう書き終えている。

しかし、40代に入ってからだろうか、僕に元来備わっていた発達や躁鬱の問題系が、益々、縦横無尽に発現するようになっており、というか今後、年を経るにつれそれらはよりひどくなっていくのだろうが、ままなりません本当に。ただその日一日を生き延びるということ以外、ほぼ何もできていない。

楽団灰ホトラの展望をはじめて描いたのは2022年の7月だ。また、ここの日記に「この先に誰も僕を待ってはいないだろう。それでも、生きる為に作らないといけない。」と書いたのは、2024年の4月だった。光陰は偽りなく矢の如しらしい。今やらないとマジ寿命が尽きてしまいます。

大怪我からは次第に回復し、幾つかの転機も僕の背を押している。簡単なカラオケを作って歌を仮録りし、4名程度のパフォーマーを募って録音しなおしたものを「Demotape」と称してネット上に公開、(可能なら小規模なライブ活動を行いながら)以降の展望を伺う、そんな算段になる。

目標をここにメモしておく。「3曲を2ヶ月以内に、もう3曲を半年以内に。秋までに「人に聞かせられる状態になった曲」を6曲こしらえる。」そう、この程度のことだ。実現しよう。

控えめに言って、これまで最低な人生を送ってきており、身内にも仲間にも他人にも、傷つけたり迷惑を掛けたり、ろくなもんじゃなかったと思う。申し訳ないです。贖罪を作品に編み込むようにして、少しずつ進んでいる。