骨骨日日その5

只々日々

▪️元通りに戻ること。それが一番大事なのは、言うまでもない。

▪️だけど入院中、僕の気掛かりはいつでもずっと「僕の痛み」だった。この痛みはどうなるだろう、次にどんな痛いことがあるのだろう、いつ、何回、痛みの強さは?長さは?そんなことで頭がいっぱいだった。

▪️医者や看護師の関心は、傷病の治癒、その為の方法の選択や手順の正確さだろう。「僕の痛み」はそれに付随してしまう面倒事に過ぎない。とか、流石に穿った言い草だろうか。

▪️対して理学療法士は、そうも言ってられないのではないか。「僕の痛み」をどう理解し、どう快方へ向かわせるか、そこを担う人たちなのだろうから。

▪️リハビリ、なるものも僕は初体験で、様々な驚きがあった。医者や看護師の施す医療行為との差異は気味が悪い程で、なにせずっと「スキンシップ」なのである。身体的接触。相当に慎重で、微細で、ふんだんな、リハビリ師の施術。それが病院の中では、際立って濃密なコミュニケーションとして僕には映った。

▪️リハビリを受けながら、演劇やダンス、身体表現のことをよく考えた。身体の或る部位について深くアプローチをする時、それが案外身体全体のことを考えることに近かったり(だって繋がってるし)、手足を動かすということの社会性とか(だって動かない手足が切望するのは日常動作、社会生活だったし)、あとはまあ単にリハビリ師と二人三脚してる感がダンスっぽいな、とかね。

▪️医者看護師介護士理学療法士柔道整復師栄養士薬剤師その他諸々、それぞれの専門性が関わり合って纏まってようやく、一つの整形外科病院の医療行為となるのだろう。それはわかってるんだけど、僕には治療の過程において、リハビリでの理学療法士と関係がとりわけ興味深く、またポジティブに捉えられる場面となった。

▪️バスケ好きの沖縄顔リハビリ女子は、大変僕に良くしてくれ、導き、鍛えてくれたと思っている。もしこうした時間がなかったら、僕は入院前より輪をかけて医者嫌いになってここを去ることになっていたかもしれない。

▪️10月15日火曜日、実に18日ぶりにシャワーを浴びる。右手右足にビニールを被せて、風呂場に座り、左足のみ足湯に付けて、頭を体を洗った。最高だった。生き返ったという表現も大袈裟と思わない。またここから頑張れるかな、と思った。

▪️退院は2週間以上先である。元通り動けるようになるのはもっともっと先だ。それに半年後には右手のプレートを抜く手術を受けなければならない。まだ道半ばなのだが、骨骨日日はここで終わりにする。

▪️9月27日は、僕の大事件だった。痛かったな。本当、最悪だった。

▪️でもこれ、転機になると思う。退院したらもっとよく、生きよう。音楽作らなきゃな。