骨骨日日その4

只々日々

▪️朝9時半に始まった手術、終わるまで4時間かかったそうだ。

▪️全身麻酔からさめた瞬間の記憶は朧げだ。挿管してた影響だろう、何か言おうとして、声が全然出なかったことだけ覚えている。気づくと右肘から先にギプスがはめられており、指先だけが出ている状態でそれが、吊り下げされていた。右腕を縛り血流を止めて手術したと聞いており、指先を触ってもほぼ何も感じないほど、痺れが強く残っていた。

▪️が、なんだろう、痺れの奥、ギプスの中が様々に痛く、苦しいのだ。切開した傷口?いや中身?ギプスの内側のあちこちでアザを擦るような激痛もある。それらが混じり合ってもう何がなんだか。痛み多様性。そんな右手が吊るされて動かせないって状況なのだ。

▪️続けざま三度目の手術なので流石に慣れもするが、手にも胴にも足にも股間にも器具や装置が繋がれている上に、今度は拷問拘束器具がプラス。痛い。苦しい。身悶える。痺れが引いていくと、更に苦痛は増していった。

▪️マジ一体、これが後何時間続く?

▪️点滴で痛み止めも入っているのだが、ダメだった。夜中にそれもきれ、夜勤の人に言っても対応してもらえず、一睡もできずにすごす。

▪️翌朝手術した院長が回診に。「先生超痛いっす」「だろうね。いいから手を動かしてみて」なんだよもう。

▪️一応念の為言っておくが、最善を尽くし処置を施してくれた結果を「拷問器具」呼ばわりする僕が間違っているに決まっている。

▪️その後、激痛尿道カテーテル抜きイベントもついてきて、わくわく苦痛踏んだり蹴ったりゾーンは終わらないのだが、この日の午後に一般病床から地域包括ケア病棟へ移動となった。

▪️今度は窓際のベットに。2日間は坐薬の力を借りるなどして痛みをやり過ごす。

▪️10月12日土曜日、2週間差し続けた左腕の点滴針も必要なくなって抜かれ、術後の痛みも落ち着いていくと、急に、今までになく、気力が湧いてきて、自分でびっくりする。動物力が回復してきて、そわそわする。

▪️山場は過ぎたのに違いないのだ。この後は、1日1時間のリハビリのために残り23時間拘束されるって感じの、退屈窮屈入院生活が続くのだろう。そんなことを考えられるのも余裕が出てきた証拠である。

▪️リハビリについては、まだ書いていない思うところが幾つかあるので、また次回。

▪️骨骨日日最終回に続く。