三途の川は半笑っている

只々日々

無気力と自堕落の日々が続いている。

動画作品「はこいるむすめエピソード4」の制作がまったく手に付かない。なにか特別な事情があって進まないのではない。まあ心の問題だろう。40超えたおっさんが「心の問題で約束が守れません」などというのは、どうにも切ない。終わってんなと思う。

幸いにして世界で数人しか気にかけていない締切だし、これから頑張りますとしか言いようがないが、役者には申し訳なく思う。ごめんよ。なんとかせねばならないと思っています。

コロナを機に、長年続けていた「稽古場リズム」が狂い倒しており、また多くはないが、公演、発表の機会を失ったりしている。今後の生活を含めた活動の展望も上手く描けないし、ふいに自らを観察すれば、自己愛の寄る辺ない失敗した大人の有様がありありとあり、なんだこれおれすごいばかみたいだな、と思わずにはいられない。要は気が、滅入っているのだ。

そんな折である。今日のことだ。

知人に頼まれて街中での動画撮影を手伝っていたんだけど、その時に川で溺れかけていた青年の命を救うという珍事が発生した。

午前10時頃だ。前橋の街中、ロケハンを済ませてあった広瀬川沿いのある場所へ向かうと、そこに酔ったホストとキャバ嬢風の4人組がたむろして騒いでいる。「邪魔だな」なんて思いながら準備を進めていると、その内の一人の男が突然川に飛び込み、激しい水流に抗えず岸に上がれない事態になった。川の先は地下に潜っていて、流されていけば恐らく死ぬだろう設定が見て取れた。男を励ましながら二人がかりで引っ張り上げ、大事には至らなかったのだが、彼等も助けた僕も、随分と肝を冷やす一幕となった。

こんなことを書くのは、なにも人助けを誇りたいのではない。僕があそこにいたのは偶然で、単なる「役回り」が回ってきたというだけのことだろう。僕は今しがた自分のことを、「自己愛の寄る辺ない失敗した大人」などと書いたばかりだが、しかしなんだろう、こんな役回りがこうして無根拠に、突然やってくる。へんなの、と思うのだ。

自己否定の地平へ歩き出せば果てしない。ある程度歳を取ってしまうと、その方面には得るものなんかない、待ち受けるのは自死だけだろう。さりとて自らを励ます言葉たちをまさぐっても、もうよじれて擦り切れて役割なんか果たせない。だけど例えば今日の、川沿いの珍事は少し面白かったかも知れないなと思うのだ。誰かを助ける機会が、木訥と間抜けに気負いなく、ただ単に訪れるようなことが存在する。それは僕の夢や生き様とは、あんまり関係がなかった。

そのことに救われたような気がする、という話だ。昔自分で書いた台詞を思い出している。「大丈夫。多分出来る。あなたもわたしも多分、誰かを一人にしないことが出来る」