離人感のこと。
多くはない。しかし時々はある。あたり一帯が現実感を失って、偽物のように感じられる時のことだ。離人感。特に病的なほどではないと思うし、一般的な離人症や解離、神経症の症状としての離人感とどれくらい符合するのかは、僕にはよくわからない。
ネットなどでは「靄がかかる」「かきわりのように見える」「物事を遠くに感じる」とかが症例として挙がってるけど、僕が感じているのはこんな風だ。
「景色がはるか昔からそこに存在し続けているような、或いは1秒前にそこに出現したような」感じなのである。人工的な構造物を前に、或いは建物内にいるような時に稀に、その感覚が走る。
例えば今、目の前に建物の壁があるとする。施工主が依頼し、建築士に設計され、各職人や大工たちの手によって作られただろう建物の、壁、まあ大体20年以内とか、それくらい前からあるのだとして、だけどそれが僕の目に、「はるか紀元前から、或いはもっと以前からある壁」のように映る。それの10回に1回くらいは逆に「僕がそれを目にした瞬間にそこに出現した壁」のように映る時もある、という感じだ。
要は、目の前の構造物の、前後の時間が壊れているのだ。僕と景色の辻褄が合わない。少し浮遊感を感じ、そして30秒もすればそれらのことは気にならなくなって忘れる。
木とか花とか猫とか、自然物や動物に対して感じたことはない。廃墟にも感じないかな。と、書き連ねてきたが、どういうことなのか別にわからない、だからなんだってことでしかないのだが、要は「僕そういう時があります」という、独り言だ。「ねえ僕、僕ってそういう時あるよね?」「うんそうだね僕。変な奴だよね」「うわなにこいつぶつぶつ独り言いってる。きもちわる」って感じだろうか。3人目は何だよ。「それも僕だよ」「やっぱ病気じゃないか」「いや冗談だから」「何人いるんだよ」「脱線してませんか?」なんだどうした話を戻そう。
多くはない。しかし時々はある。離人感が走り、そして去った後、僕は孤独は深くしたり、不安に苛まれたり、するわけじゃない。多分、僕はその時、ちょっとおばけなのかもしれない。離人中、少しだけおばけになっているのだ。日常に軽く挿入されるスナック感覚おばけタイムと言えるだろうか。「言えないと思うよ」