きになるひと

只々日々

猫がなつかない。

三匹猫を飼っていたが今は一匹のみになってしまった、という話を以前の日記に書いたが、この残った猫が、とにかく臆病で人間に対する不信感が根強く、もう飼って何年にもなるのだが、一向になつく気配がない。

車通りの多い通りの脇にうずくまって動かない子猫がいる。車に轢かれたのだろう、足を骨折していた。この猫を拾ってきた、という経緯で家にいる。骨は繋がらないだろうと医者に言われたのだが、今は運動能力に何の問題もなく、つまり骨の周囲の筋肉で機能を補っているということなのだろう。当初から野良猫らしいなつかなさで、時が解決するだろうと期待していたが、ダメだった。

僕の姿を見ると、石を裏返した時の虫のように、逃げ出していく。なので、自分家の猫なのだが、ほぼ逃げる時の背後の姿しか見てない。猫がうんこをしてる途中に、僕が1ミリでも動こうものなら、うんこの途中でも走って逃げ出して、その道すがらに点々とうんこを落として「うんこヘンゼルとグレーテル」の光景が広がったりする。

普通に可愛がりたいのだが、とにかくただ触るだけでも難しいのだ。シャーって言われちゃう。しかしある時、そばにあった棒を使って撫でてみたところ、問題なく撫でられてくれ、のみならず、人間は嫌いでも撫でられること自体はどうもとても好きなようで、嬉しすぎて少しパニックを起こしていた。なんていうか、のたうちまわって喜ぶというか、棒で体の全ての部位を撫でて欲しいらしく、寝転がったままノンストップ無限ローリングを繰り返していた。

スキンシップが好きな猫なのに大嫌いな人間しかそこにいない時の、解決策としての、棒。棒というかまあ、定規とか孫の手なのであるが、ただ最近は、棒から人間エッセンスが伝わりすぎたのか、あまり相手をしてくれなくなってきた。

僕自体が棒になれば解決するのだろうか。悪の秘密結社とかなら僕を「怪人・棒」に改造してくれるのかもしれないが、住所を知らない。手詰まりである。こんなに棒に嫉妬したことはない。いやまだできることはあるのだろう。棒の物真似を練習したり、傭兵が顔に迷彩を施すように顔に木目を描いたり、体重を30キロ台まで落としたり。棒へ至る旅路はまだはじまったばかりだ。