デッサウの風

只々日々

かっこいいとはなんだろうか。

魁!男塾よりAKIRAの方が、ジムよりガンダムの方が、しまむらよりユニクロの方が、かっこいいに該当する気がするな、とかって風に、相対的に見てという話なら簡単でも、一体自分の中に確固たるかっこいいの基準って、あっただろうか。

かつてバウハウスのことを随分調べたことがある。

バウハウスは第一次世界大戦後、ドイツに作られた美術学校だった。校長グロピウスの宣誓を読むと、生々しい情熱や高い志が伺える。戦後に新しい価値観を打ち立てようとし、これに若い才能たちが応えるようにして営まれていただろう場所で、キャラクター揃いの教官たちや活気のある活動風景の記録を見ると、「トキワ荘」に感じるような憧れを宿してしまう。

世界を戦争に向かわせた「人の情念」を罪にして、理知や合理を徹底した。当時の新技術、新素材を用いて作られる機能主義の建築や製品群は、そう、「かっこいい」のだ。モダンデザインの源流と言われるが、100年前のバウハウスの「かっこいい」って、現代に直に届いてくる。それが驚きだった。

バウハウスの校舎やワシリーチェア、カンディンスキーの抽象画など、目にしたことがある人も少なくないだろう。僕はバウハウスに因んだ作品たちを、総じて「無駄を削いだストイックな佇まいと、しかし対面するものを窮屈にしない開かれた存在感があるもの」てな感じにイメージしているだろうか。それがつまり、僕の思う「かっこいい」の言語化と、言えるのかもしれない。

バウハウスには舞台芸術に関する授業もあったようだ。オスカー・シュレンマーという人が担当している。

たしかバウハウス叢書に付属していたと思うんだが(違うかも知れない。よく覚えていない)、この人が書いた舞台の構造を図式化したもののポスターがあって、僕はしばらくそれを部屋に飾っていた。展開、動作、衣装、照明、音楽などの相関を現しているっぽいわけわかんない図で、なんだかへんてこなので好きだった。

舞台衣装がとにかくヤバくて、球や四角柱や三角錐などの、幾何学的な立体を着込んだ役者の写真が、痛い前衛を絵に描いたようで、初めて見た当時、笑ってしまった。まあそれは僕が色んな文脈をすっ飛ばして自分の素の感覚で見た際のリアクションに過ぎず、浅はかだったのに違いないが、しかし、バウハウスの工芸品を見る時のような、「かっこいいが直に届いてくる」とは正直違っていて、なんだろう、あれは「前衛、それは大体ヤバい」の再確認だったな。

時間が経って、年をとったりなんかして、なにがかっこいいと思うか、変わっていくのかもしれない。冒頭書いたのも一部、話をわかりやすくする為に書いた嘘で、ガンダムよりジムの方を多分今は、かっこいいと思っている。