ダンジョン飯のこと

只々日々

ダンジョン飯のことを書きたいのだ。

この漫画についての思いをいつかきちんと言語化したいと思っていた。気づけばあっという間に人気作になって、アニメ化され、今はもう既にいろんな人が作品の魅力について語り尽くした後、なのかも知れない。だけど別にいい。僕は自分が書きたいから書くのだ。

▪️短編集との出会い

短編集の作品たちを読んで以降、とにかくSF素材を用いて世界を再構築をするってことに秀でた人だなという印象で、既に確立されたSF世界のお約束に独自の角度から切り込むんだけど、誠実で緻密だが肩肘は張っておらず、ドライで俯瞰的なのに物語は豊かでエモくもあり、マジ面白くて、大好きだなと思っていた。「人魚禁猟区」が一番好き。

知人の漫画家、福島聡と同じ雑誌に掲載されていた時もあっただろうか。九井さんと会ったことがあると言っていたような気がするが、どうだったっけな。

▪️僕にとってのファンタジー世界というもの

西洋の神話や御伽噺がやがて、指輪ナルニアゲド的になって、そしてD&DWizUltima的になって、そうして広く僕らに没入をもたらしたDQFF的になった頃には、剣と魔法の世界は和洋折衷で虚実を分離できない、適当で曖昧でご都合主義な世界に変貌した後だっただろうと思う。もっとも天才鳥山明がDQの、例えばスライムのデザインで成し得たように、ファンタジー世界の二次創作は僕らの前に充分エキサイティングで、上質で独創的なものとして現れたんだけれど。

デビルマンに傷を負ってベルセルクが、ウルトラマンに呪われてエヴァンゲリオンが産まれるように、或いはゲームに注ぎこんだ時間を無数の異世界転生物に汲み戻そうとするように、ダンジョン飯はこの時代に、80年代頃のサブカル文化の反芻、トラウマの反復として出現したように僕には思えるが、そうして現在の世に溢れている凡百のファンタジー作品と、ダンジョン飯は一線を画してはいないだろうか。

▪️ダンジョン飯はすごい

九井さんは、異世界を多面的な織物として複雑に眼差しながら、ファンタジー世界が現実を比喩する、その為の手綱を決して離さない一方で、適当で趣味的なRPG世界と本格ファンタジーを同じ温度で愛するようにして、描いている。加えて毎話毎話、料理に関係したエピソードを捻出するアイデアや前後のプロットとの組み合わせも、いちいちスーパー秀逸だ。

例えば「ドラゴンをどう食べるか」が序盤からずっと期待されていただろうが、「横向きに倒れたドラゴンの腹を掘った後にできた穴が引火用のガスで燃えて肉を焼く釜になる」とか、こんな面白い方法を考えられる人間がこの世に二人といるだろうか。腹を掘ることも、引火用ガスの誤爆も、展開上無理がないし伏線だって張ってある。他にも枚挙に暇なんてない、全てのエピソードについてそうなのだが、とんでもない着想がけっこうあっさりと描かれていて、通り過ぎてしまいそうになるんだけど、その想像力、空想力は凡人の及ぶものではないよ。

絡み合う筋立てが、料理する、ということに結ばれるダンジョン飯という作品なわけだけど、僕は毎度センシの料理する食材が、それまでの過程で入手したものでやりくりされているのを見て、「これが全部プロット上で管理、計算されてるなんて恐ろしい」と思いながら読んでいたが、この点は「残り物で料理をするということ」という、(僕は料理をしないのだが)普段料理する人にとっては自然な、普通のことが行われているだけのことで、あまり感心するのも違うのだろうか。

▪️自由に空想するということ

本当に自由な空想ができなければ、ファンタジー世界のシュミレーションは浅くなる。そもそもくそほど手垢が付いたジャンルなのに、連作障害を防ぐ為に3体でローテーションしてる畑ゴーレムとか、ミミックを餌にする擬態昆虫の生態とか、ボコスカウォーズエグザイルネクロマンサーとか、新しすぎるよ。巻末の「モンスターよもやま話」の異常な密度の濃さにも現れているが、この作家がいなかったら、ファンタジー世界にこれらの豊かなディティールが与えられることは、この先もずっとなかったに違いない。

ところで、僕がダンジョン飯をはじめて読んだ時にすぐ思い出したのは、37年前の桜玉吉のDQ2のパロディだった。旅の途中で腹を減らした「おまえ一行」がモンスターを食う、というギャグがあったんだけど、桜玉吉のそういうところが好きだったな。その虚構世界の中で好きなように遊ぶことができる人のひとりだったろう。

▪️バランスの重心のあるところ

最後に、僕がダンジョン飯全体の中で、一番印象深かった一コマを書いておきたい。単行本をお持ちの方は12巻の193ページ5コマ目をご覧いただきたいのだが、僕はこのコマに衝撃を受けた。この辺りの決戦の場面全般にアクションに関する緊張感がないのはまあそうなんだけど、このコマはひときわ気になった。こんなことはあり得えないと思うんだよ。少年漫画ならこの1コマを1話使って描くだろうし、うしおととらの白面の者との戦いがこんな感じなら、あまりの事態にびっくりした獣の槍がサンデーから飛び出してきて藤田和日郎の右手を突き刺しただろうし、ナルトの最終決戦の時だったら、ジャンプのマークの眼帯が取れて万華鏡写輪眼が発動して岸本斉史に無限書き直しを迫っただろう。

だけど、ダンジョン飯では、これでいいのだし、だから、こんなに面白いのだ。