右手坂を登れ

只々日々

堅町スタジオでの活動が続く。

憲法を戯曲とし、ふさわしい演技体を、プロットやシークエンスをまさぐっている。憲法との曖昧な距離感を表現の軸に据えるのだが、そのことをパフォーマンスするだけでは消極的で語彙に乏しく、やはり社会や歴史全体に特定の比喩を与えて、舞台空間と観客が対峙可能になるように、もっと具象化を進める必要があるだろう。

当初の目論見のあまりに浅いことに気づき、なんとかせねばとなって、試行錯誤を続けているが、どんなもんやら。正直に言うが、すごく苦手なことをやっている。

今日、前橋文学館で、清水邦夫作「イエスタデイ」の撮影を行った。

毎年夏に繰り返し行われている朗読劇なのだが、今年はコロナの影響で映像作品の発表となったのだ。僕は作曲音響として参加している。数年前、原爆投下の場面の音楽を作った時、すごく怯えたのを覚えている。戦争を、まして原爆を扱う作品に参加する日が来るとはあまり思っていなかったし、要はおこがましいと感じたのだ。

戦争を考えるという営みに価値がある、という文脈でなら、僕のしたことも許容されているのだろう、文学館からの声掛けが続いていることに感謝している。

撮影の帰りにアーツ前橋にたちよって職員に挨拶し、展示を観て帰ったのだがその展示の、人称性を持たない記憶が土地に堆積するのだという趣旨が、「イエスタデイ」のことや、憲法のことについて考えている問題と絡み合って、なんだろうかおぼろげに、今までとは全然別の発想の地点が見えるような見えないような気がしている。

断言してよいが、僕は今まで僕の為にしか作品を作ってきていない。

書いてきたテキストは全て僕自身のことで、それ以外のことを書いたことは一度もない。寂しいとか苦しいとか恥ずかしいとか生きづらいとか、てんでそんなんばっかりで、そしてそれはこれからも続くのだと思われるのだけど、今の僕が纏っている、場所や時間は本当は、そうした個人の問題など無視して僕にどんどん関わっている、ただ気付かないだけのことで。

例えば演劇に参加することで、美術館で観賞する時間を持つことで、不連続だと思っていた場所や時間と関係し、「触れる」という身体的な体験を得ることが出来る。そうしながら、自分から自分を少し離すようにして、ひらく知覚があるのだろう。

最近なぜだか右手が痛い。腱鞘炎かなにかだろうか。僕の右手が痛いといって、同じ右手の人を探しに行くことを、少し休んだほうがいい。