パイルダーオン

只々日々

超絶久々に、自宅の机の前に座ってゆっくりめに、ブログなんぞを更新する時間を得ている。公演や展示のひと山を越え、次の準備に入りつつあるも正直、脳は散らかって、足元はぬかるんで、ただ血色だけはあるような、変な感じになってんなってなってる。

初体験となる作品展示は初週の二日間を終えた。美術の文脈を踏まえ更新し、問い立て、視点を作ろとする。アートスペースに作品を展示するって、きっとそういうことだろう。

しかし、灰ホトラはその為に行為したとは言い難い。というか無理だ。現代演劇の文脈は最低限理解しているし、系譜を踏まえ同時代性の中に次の足場を見出していこうという意識はあるけれど。

そもそもが、基本「単なる」欲求に従って作品を作っている上に、ジャンルの境界を流浪する作品の景色は概ねいつもしみったれている。戦闘値も拡散度も低いのは相変わらずだが、今はひとつひとつの出会いを大事に、耳を大きく、視線は遠くにもつようにして、劇集団の前進の為にできることをしたい。展示はまだ続いている。

さて一方では、他から依頼されるかたちで、演劇公演との関わりがある。文学館リーディングシアターでの寺山修二「犬神」劇伴の作曲だ。猶予は一ヶ月強だが、進捗度はゼロである。

今までどんな作曲作業だって楽だったことは一度もないし、今回だって大変だろうが、一方で、リーディングシアターの劇伴作りは、経験則の応用が主で、非常にシンプルであると言える。「創作」よりも「披露」に近い。

進行がタイトでも心配が少ないのは、朔美さんの現場だからだろう。他の人だったら話は全然別だ、というかそもそも引き受けていない。

最後に、「身体の芸術推進実行員会」のこと。

この委員会の委員となった僕である。委員会の諸先輩方に優しく、垣根なく応対してもらって、僕もなにか良いリアクションを作れないといけない。会議では共作の青写真もあって期待が膨らむが、とにかく、変化を恐れない、ということを大切にしたい。

僕にとって演劇における重要なことは、演劇を批評的に見つめることから見出された。今日は理解できなくとも、半年後には違っている、そういうことってある。僕はまだまだであるから、あるなら、学び、変わろう。