鳥居くぐった女達

只々日々

ちょっともう辛抱堪らないので、欅について書くぞ僕は。 

秋元康がプロデュースするアイドルグループのひとつに、「欅坂46」なるものがある。結成は2015年で、僕が知ったのは2017年の夏頃だったろうか。その時まで、世にアイドルグループなるものの存在を認知はすれど、毛程の興味も持ったことはなかったのだが、なんでか突然、欅坂にすっかり嵌ってしまったのだ。 

きっかけは、たまたま目に入った深夜番組「欅って、書けない?」だった。MCの澤部祐を凄いと思った。芸人による素人弄り番組といった感じのこの番組に、オールラウンダー澤部のハイパフォーマンスぶりは中々のものだったと思う。 

興味を持って表題曲のMVを観てみる。池田監督の断片的なのに肉厚な物語性ある展開、新宮監督のリリカルで多義的なシーン作り、映像はどれも素晴らしかった。メジャーシーンのダンスに興味を持ったのもこれが初めてだ。振付師のTAKAHIRO、衣装の尾内、それにタイトルフォントやジャケットなどの意匠も含めて、次第に、欅坂全体のプロジェクトに僕は、惹きつけられていった。 

センター平手を中心とした彼女達のドキュメントは、妙に虚弱で危うく刹那的だった。秋元TAKAHIROとメンバーの関係性は、演劇の現場での、作家演出家役者の関係と良く似ており、身につまされる思いもする。彼女達の真面目さや暗さ、不器用さも、演劇の現場風景にあるものと重なって見えた。 

このごろはメンバーの卒業が相次いでいる。全員選抜のグループなのだし、脱退者が出るのはもっと先だろうと思っていた。重要なメンバーが雪崩を打って辞めていく様子に、「幻想の破綻」はあるだろう。そうしたネガティブなことすら燃料にして彼女達は進むのだが、際限なく内向的切実さを増していく楽曲やパフォーマンスは、しかしいつか反転しエロスへと向かわなければ、続くわけがない。 

そうして、「もう解散したらいいんじゃない?」と思うのは僕ばかりではないだろうが、二期生も入って、グループは助走の姿勢にある。どこに向かって駆けていくのか、現状見当も付かないが、NGTの問題を鑑みても、アイドルビジネスモデルに「幻想の破綻」はむしろ希望かも知れない。 

そう、もう、変わったほうがいいよ。夢を謳って少女を集めて、貞操と媚態を強制して金にするようなシステムが、欅坂を境に下火になればいいのになと思う。アイドルグループを応援しながら、それがなくなればいいと思う矛盾が、なぜ僕の中にあるのだろう。正直よくわからないが、だからこそ、平手のことが気になるのだろう。