AIについて思うことを書いておきたい。
この2025年という年がポイントになるだろなって程に、今年はAIが飛躍的に実用度を増した年なのではないだろうか。
文章書いたり絵を描いたり動画作ったり作曲したりして生きてきたわけだが、それら全ての制作方法に今後、AIが甚大な影響を与えていくに違いなく、それにつけても「思ったよりも早くその時がきた」という思いが強くてまー、戸惑っている。
10年くらい前からの世の中における、フリー素材「いらすとや」の節操のない使われっぷりとか、00年代以降映画でも漫画アニメでもゲームでも次第に「同人的」になっていく様相とか、牽引者だったスピルバーグが「レディープレイヤーワン」を作ってしまったこととかルーカスが手放した「スターウォーズ」が失敗したファンムービーでしかなかったこととか、コロナ禍におけるクリエーターへの冷淡さとか。
それら全てに対する「別にそれでいいじゃん」という態度がないまぜになって伏線になって、AIによる作品作りは出現し市民権を得たように僕には思われ、そうしてその風景がなんだか薄暗く感じられ、というか多分、正直僕は、怖いのだ。
去年くらいまでなら、AIの搾取性を問題にできたかもしれないが、多分、もう無理じゃないか?受け手は本当に、心底、どうでもいいのだろう。作品というものは各作り手の固有の身体を通過して現れる生きたことの集積なのだ、とか言われても、AIが出力したものが「サマになって」れば別にみんな、そっちを使っていくんだと思う。
ただAi画像に関してだが、ちょっと面白いなって思うのは、みんなそれぞれが、なんでも出力してくれるツールで作ってるってのに、どんどんと同質的になっていくって様子で、結局みんなで「いらすとや」を使ってるって状況と案外、似たようなものになっていくのかもって、気がすることだ。
なーんて書いている最中に、「sora」のアップデートのニュースに触れ、想像を遥かに超える変化の上昇カーブぶりに、閉口している。どうなっちゃうんだろうな。
楽団灰ホトラの作品づくりが、既存の音楽、ドラマの有り様と全然違うので、まだ涼しい顔をしていられるのだが、どうなることやら。心が折られていくクリエーターが、沢山出てくるだろうな。嫌だなAI。わくわくする、とかじゃなくて、なんか、ヒヤヒヤするんだよ。