「はっぱのうた」「マッチングのうた」制作中

只々日々

目標達成ならず。

普通、「ならず。残念」となるのだろうが、僕の状態は悪すぎる。2月時点から前進しただけでも良しとすべきだろう。一度試作をあげれば、これをどう改善しようか、どういう編曲があるだろうか、などと妄想できるようになり、作った甲斐はあるなと思っている。

「はなしことばを優位にした、演奏可能な、新しい音楽のジャンルを作る」

今まで、それが具体的にどういうものなのか、誰かに口で伝えるのも難しい上、例示もできなかった。口語的なことばと音楽が絡む表現なら、ラップやアニソン、ミュージカルなどに様々あるだろうし、やれセリフをサンプリングした作品とか、やれ詩の朗読とバンドのジャムセッションとか、でもどれも、僕がやりたいことと重なっていても、やはりずれている。

「風鐸」では、台詞と劇伴のような関係がより有機的で不可分になるように狙って、「ぷかぷか」では、人の喋れなさを音楽的な拍に見立てシンプルな演奏、展開と組み合わせて、「ひかるたま」では、BPMは固定的に、しかしことばや間に沿った変拍子を用いて、「陽炎」では、モノローグの中の文節に演奏をパズルのように捩じ込んでいって、そうして、「楽団灰ホトラがどういうことが表現したいのか」を少しずつ明らかにしている。

芝居の劇伴を作っていた時でも、楽団灰ホトラの試作曲を作っている時でも、思うのは、こうしたものを「心底、やってみたい」と思うことができ、信じ続けることができるのって、世界で僕一人なんじゃないかってことだ。

別に、自分が特別なのだと言いたいのではない。そうではなくてもっと単純に「これが人生で一番やりたいことだ」という奴なんて、いないだろうな、と思うってだけだ。二番目とか三番目とかならまあ、いるかもしれないけど。

それに、口語に合わせて音楽を作るなんてこと、作家も作曲家も演者も奏者も、きっと耐え難いと思う。どんな人でも、途中でやめるんじゃないかな。音楽を作る人は絶対に、音楽に口語を合わせようとするし、科白劇を作る人は絶対に、口語が音楽に従うことを許容しないし、音楽劇でもラップでも、旋律やビートを土台とするものだろうから。

そうして、誰もその道を突き詰めないというか、どのジャンル、コミュニティーでも、僕のようなアイデアは、排除され、育たないと思う。前衛界隈にことばと演奏の「コラボ」が数多あるのは知っているが、僕は再演可能なバンド形式に近いライブ表現がしたいのだし、「コラボ」ではなく、ただ「単なるひとつの曲としての披露」がしたいのであって、あんまり関係ないと思っている。あと、ステートメント的に表明しているが、僕は前衛でありたいとは欠片も思っていない。

よく思うんだけど、漫才(リズムネタを除く)のつくりは結構、近いかもしれないなと思っている。音の連なり方、セッション、速度や強弱の管理、最小限のフレーズ(ことば)での組み立て、全体の尺の感じ、観客とのレスポンスが明確なライブ表現であること、諸々相当、僕が妄想するものと要素が重なる。

超メジャーシーンでありながら、先進的な表現が次々と現れる、漫才って本当にすごいなと思う。芸人さんの出世作となるようなネタには例外なく、それぞれの身体的な洗練に伴う唯一無二の解答があって、見事である。「漫才の中の声の鳴り方に演奏を追従させて作ったような作品」て言ったら、僕の作りたいものの説明としてある程度、的を射ているかもしれないな。